よく「日本はアジアを解放した」と主張する日本人を見かけます。
本日Xでも「日本がなかったら(ベトナムは)今も米国の植民地だ」という、歴史と事実を無視した発言を目にしました。
そこで今回は、その主張がいかに根拠のないものであるかを、史実と論理の両面から整理して指摘しておきます。

要旨
- この主張は「もし日本がなかったら…」という検証不可能な“もしも”の話に依存しており、歴史の事実をねじ曲げています。
- 実際には、日本の進駐はインドシナに二重支配と兵站収奪をもたらし、**1945年の大飢饉(推定100万~200万人死亡)**の原因となりました。
- 戦後は日本が米軍の重要な後方拠点となり、さらに南ベトナム(ベトナム共和国)を積極的に支援しました。
- 枯葉剤問題を含め、結果的に日本は米国によるベトナムへの戦争・支配を間接的に支えたのです。
1. 問題点(論理編)
「日本がなかったら、あなた方は米国の植民地だ」という発言には欠陥があります。
- 歴史を「もしも」で語っても確かめようがなく、加害の事実を正当化できません。
- 日本の行動でアジアは戦場化し、戦後も米軍支援を続けたのに「植民地化を防いだ」と語るのは因果を逆転させています。
- 東南アジアの独立は各国民の主体的な闘いの成果であり、日本が“与えた”ものではありません。
2. 日本軍進駐と大飢饉(1945年)
- 1940年から日本軍は仏領インドシナに進駐。仏当局と二重支配を敷き、米の強制供出・輸送混乱を引き起こしました。
- 1945年春には200万人が餓死する大飢饉が発生。これは「解放」ではなく飢えと死を残した事実です。
3. 独立は各国民の闘いの成果
- ベトナムは1945年に独立を宣言し、その後フランス、さらに米国と戦いました。
- インドネシア、フィリピン、インドなども同様で、独立は現地の人々の犠牲と闘争によって勝ち取られました。
4. 戦後の日本と米国:拠点化と南ベトナム支援
- 日本は日米安保体制の下で在日米軍基地を提供。沖縄・本土の基地・港・工場・輸送網はベトナム戦争の後方拠点となりました。
- 嘉手納などからの米軍行動は、ベトナム爆撃・兵站支援に直結しました。
- さらに、日本は外交面で南ベトナム(ベトナム共和国)との交流を深め、経済援助や技術協力を行い、政治的に米国の戦争を支えました。
- これは単なる“基地提供”ではなく、米国によるベトナム分断と支配への協力でした。
5. 枯葉剤と日本の関与
- 米国がベトナム戦争で使用した枯葉剤(エージェント・オレンジ)についても、日本の企業や港湾が輸送・整備・関連化学品の提供などで間接的に関わっていました。
- 日本が南ベトナム政権を支持し、米国の戦争遂行を物資面・外交面で後押ししたのは否定できない事実です。
6. まとめ
- 「日本がなかったら米国の植民地」という言説は、仮定の“もしも”で過去を正当化するレトリックにすぎません。
- 実際には、日本は戦中に飢饉と暴力を残し、戦後は米軍の戦争拠点となり、さらに南ベトナム(ベトナム共和国)支援を通じて米国のベトナム支配を間接的に助けたのです。
- つまり「植民地化を防いだ」のではなく、米国の新しい支配の道具になったのが日本の現実でした。