ベトナムの青い空と人懐っこい笑顔に、何度も心を奪われてきた一人の日本人社長がいました。
出張のたびに現地の人と話し、屋台で食事をし、家族ぐるみの付き合いもするようになると、彼は自信を持ってこう言い切るようになりました。
「私はもう、ベトナムを理解している。」
やがて彼は北部の工業団地に自社工場を建設することを決意します。
現地の生活を視察しながら、ふとこんな考えが浮かびました。
「まだ生活は厳しい。ならば、会社が家族のように支えれば、きっと喜ばれるはずだ。」
“理想の職場”計画
彼の頭の中には、すぐに絵が描かれました。
社員寮には洗濯機を完備。子どもが遊べるキッズスペース、くつろぎの休憩所、さらにカラオケルームまで。
「会社は家族、家庭のように安心できる場所であるべきだ」──そう信じた彼は、従業員にこう宣言します。
「多少給料が安くても、生活が充実していれば問題ないはずだ。
今は“お金”より“未来の幸せ”を優先しようじゃないか。」
給料は相場より20%低く設定されたものの、立派な工場と豪華な福利厚生施設が1年で完成。
いよいよ採用を始める──はずでした。
誰も来ない面接会場
しかし、現実は静まり返っていました。
募集広告を出しても、応募はほとんどゼロ。
「なぜだ?」と首をかしげる社長に、現地スタッフが言いにくそうに告げます。
「社長…みんな、給料が安いって言ってます。
キッズスペースやカラオケより、その分をお給料に回してほしいって…」
彼の“理想”は、現地の人からすれば“不要な贅沢”でしかなかったのです。
背景にあるすれ違い
- 社長の思い込み
「ベトナム人は家族を大事にする → 会社も家族のように思ってくれるはずだ」 - 現実の優先順位
多くの労働者にとって、会社は「お金を稼ぐ場所」。快適さよりもまず給料。 - 誤算
プライベートを侵食するような“会社は家族”発言は、逆に距離を感じさせる。
教訓
- 「家族を大事にする文化」=「会社に家族的なつながりを求める文化」ではない
- 福利厚生よりまずは給与水準を確保
- 投資前に現地の声を聞く
- 善意でも、相手にとって不要ならコストでしかない
終わりに
この工場を見たある現地関係者は、苦笑いしながらこう言いました。
「その設備、全部なくしてもいいから、給料を上げてほしいですね。」
文化を知り、相手が本当に望む形で支えることこそが、現地に寄り添う経営の第一歩なのです。
※本記事は『ベトナムビジネスで失敗した日本人たち: 文化の違いが招いた10の実話と教訓』をもとに加筆・再構成したものです。