「危ない」と言われたとき、あなたはどう感じますか?
本当に危険だから? それとも“ただ違う”だけなのに?
日本では、この一言が会話の流れを変え、人との距離を一瞬で広げる力を持っています。
直接「悪い」とは言わず、角も立てず、説明もしない──それでいて相手を“危険物”に仕立て上げられる便利な魔法の言葉。
けれど、ベトナムではこの「危ない」が、まったく違うニュアンスで使われるのです。
同じ言葉なのに、文化によってこうも意味が変わる──その面白さを、この章で少し覗いてみましょう。
※この記事は『日本社会の呪文ワード辞典 Vol.1:日常編』の一部抜粋です。本の紹介ページはこちら
Contents
1/「危ない」という呪文──違うものを“危険”に変える魔法の言葉
日本語の「危ない」。
本来は、火事や転落など、物理的な危険を指す言葉でした。
しかし現代の日本では、その使い方が静かに変化しています。
2/“悪い”と言わずに距離を取る魔法
- 「あの外国人、考え方がちょっと危ない」
- 「その発言、危なくない?」
- 「あの子、最近なんか危ないよね」
直接「悪い」とは言わない。でも「危ない」と言うだけで、周囲との距離を置く理由ができてしまう──そんな便利な言葉になっているのです。
3/なぜ「危ない」が拡張されたのか
- 直接否定すると角が立つ
- 嫌だけど説明は面倒
- 自分が正しいと断言する自信はない
そんなときに出てくるのが、「ちょっと危ないね」という一言。
これだけで反論を封じ、会話の流れを変えてしまうことができます。
4/本当に“危険”なのか?
「意見が違う」=「危ない」
「空気を読まない」=「危ない」
「自分の言葉で話す」=「危ない」
この構造は、異なるものを“危険物”にすり替えるロジックそのもの。
本当に危険なのか、それとも“違う”だけなのか──立ち止まって考える必要があります。
5/ベトナムでの「危ない」
ベトナム語にも「危ない(nguy hiểm)」という言葉がありますが、日本とは意味合いが大きく異なります。
若者の間では「ずる賢い」「一枚上手」といったニュアンスで使われ、むしろ相手を評価する場合も。
「お前もなかなか危ないやつだな」
「あいつは数学もできて、詩もうまい。つまり相当“危ない”やつだ」
ここでは、“危ない”は否定ではなく、羨望や軽い嫉妬を込めた褒め言葉になるのです。
6/まとめ
「危ない」は便利な言葉ですが、その便利さは時に多様性の排除や支配の正当化にもつながります。
人を遠ざけるためではなく、違いを理解するために──言葉を使いたいものです。