ハイさんはベトナム人で、日本で十年以上にわたり組合の通訳として働いている。
毎日、技能実習生や特定技能者を受け入れている企業からの電話がひっきりなしにかかってくる。
月曜日の朝、いつものように忙しく電話を受けていたとき、山田社長からの電話が鳴った。
「ベトナム人って“恩”を知らないのかな?」
電話口から、少し不満げな声が聞こえた。
山田社長:「先週の週末、ベトナム人の特定技能者の引っ越しを手伝ってやったんだよ。トラックまで出したのに、今日会社で会っても“知らんぷり”なんだよ。」
ハイさんは一瞬黙り込み、先週その技能者たちから聞いた話を思い出した。
「山田社長はとても優しい人です。仕事には厳しいけれど、引っ越しを手伝ってくれて、焼肉までご馳走してくれました。本当に感謝しています。」
つまり──ベトナム人たちは感謝していなかったわけではない。
むしろ、心から感謝していたのだ。
「感謝の形」が違うだけ
この“すれ違い”の原因は、文化の違いにある。
日本では、恩を受けたら翌日にも何度か「ありがとうございました」と感謝を伝えるのが礼儀とされる。
一度言って終わりではなく、「お礼の上書き」を重ねるのが日本流の丁寧さだ。
一方、ベトナムでは、親しい相手に一度きちんとお礼を言えば、それで十分とされる。
その後に何度も感謝の言葉を繰り返すと、「形式的すぎる」「距離を取られた」と感じる人すらいる。
つまり、山田社長が「知らんぷり」と感じた態度は、ベトナム側からすれば「自然体」だったのである。
「心の中のお礼」を大切にする文化
ベトナム人は、受けた恩を「心の中に留める」文化を持っている。
言葉で何度も伝えるよりも、いつか別の形で返そうと考える。
たとえば、困っているときにさりげなく助ける、贈り物をする──そうした行動で「ありがとう」を示すのだ。
山田社長のように、感謝の言葉をすぐに期待する日本人から見ると、それが「無反応」に見えてしまう。
でも実際は、沈黙の中に深い敬意と感謝が込められていることも多い。
「悪い」のではなく、「違う」だけ
このような文化のすれ違いには、誰も悪くない。
ただ、感謝の表現方法が違うだけなのだ。
日本では「言葉で伝える」ことが重視され、
ベトナムでは「行動や心の中に留める」ことが重視される。
お互いの価値観を少し理解するだけで、職場の誤解や不信感の多くは解けていく。
ハイさんは電話を切ったあと、静かに心の中でつぶやいた。
「この調子だと、明日もまた社長から電話が来るかもな。
今晩、技能者たちに“日本では感謝は言葉で伝えるものだよ”って教えておこう。」
🪶まとめ
言葉で感謝を重ねる日本と、心に感謝をしまっておくベトナム。
どちらも「相手を思う気持ち」に違いはない。
ただ表現の仕方が違うだけで、どちらが上でも下でもない。
文化の違いを「間違い」とせず、「発見」として受け止められたら──
きっともっと気持ちのいい国際共生ができるだろう。
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