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――決定よりも「誰も傷つかない」が優先される社会
📝このシリーズでは、Xに載せた
「日本がなぜ停滞したのか」 をもとに、
12の視点から少し細かく分析しています。
第3回では「年功序列という名の足かせ」を取り上げました。
今回の第4回は――「会議のための会議」について考えます。
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■ 導入:なぜ決まらないのか
日本の会社では、会議が多い。
しかも、その多くは「決めるため」ではなく「確認するため」に開かれる。
新しい提案をしても、「もう一度話し合おう」「関係部署とも共有しよう」。
結論が先送りされるうちに、チャンスも消えていく。
こうして会議は、“何かを進める場”ではなく、
“誰も傷つけないための儀式”になってしまった。
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■ 現象:スピードも、責任も消えた
「みんなで決めたことだから」と言えば、安全。
「私のせいではない」と言えるから、安心。
だから会議では、結論よりも“納得感”が重視される。
結果として、スピードも責任もどこかに消えていく。
誰も反対しない会議は、一見“平和”に見える。
だが、それは“無風”であって、“安定”ではない。
風が吹かない組織には、新しい芽も育たない。
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■ 背景:「和」と「空気」が生む“議論の抑制”
この文化の根には、「和を乱さない」という美徳がある。
意見の衝突を避け、相手の顔を立てることが、長年のマナーとして育ってきた。
しかし、その「和」はいつしか“思考停止の口実”になった。
空気を読みすぎて、本音を言えない。
誰かが沈黙を選ぶと、全員が沈黙を選ぶ。
結果、会議室には人はいても、「議論」はいない。
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■ 比較:ベトナムでは議論が“生きている”
ベトナムでは、会議の声がとにかく大きい。
意見がぶつかり合い、時に混乱し、時に笑いも起こる。
でも、そこで何かが“決まる”。
「議論=衝突」ではなく、「議論=前進」。
だからこそ、スピード感もあるし、責任も明確だ。
日本の会議は静かで礼儀正しい。
だが、その静けさの中に、未来は聞こえない。
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■ 結論:「安心の共有」から「目的の共有」へ
「誰も傷つかない」会議は優しい。
でも、優しさが続きすぎると、組織は弱くなる。
これから必要なのは、
“安心”を共有することではなく、“目的”を共有する会議だ。
誰もが意見を言える空気。
そして、決めたらすぐ動くスピード。
それが戻ってこない限り、日本の会議室に未来は生まれない。
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📘次回:「議論できない社会」
――なぜ意見の違いが“争い”と受け止められてしまうのか?



















