ベトナムでは長いあいだ、「日本人=世界一勤勉な民族」というイメージがほぼ常識のように語られてきました。
朝早くから満員電車に揺られ、夜遅くまで残業し、ミスを恐れて細部まで気を配る──そんな日本人像は、尊敬の対象でもあり、憧れでもありました。
私自身も日本へ来る前は、
「日本に行ったら、自然と自分もあの勤勉さに影響されるのだろう」
と信じていました。
しかし、実際に日本で働き、生活し、人々と向き合う中で、その“勤勉”には 別の顔 があることに気づいたのです。
■ 「勤勉」の裏側にあったもの
日本に来て最初のころ、確かにオフィス街は朝から明るく、夜遅くまで人影が途切れませんでした。
しかし一緒に働くようになると、次第に違和感が生まれました。
● 会議は長いのに、結論が出ない
● 定時後も何となく席に残っている
● 休憩を取らずにPCの前に座っているが、作業は進んでいない
● 「早く帰ると上司に目をつけられる」と恐れる同僚がいる
そこで初めて理解しました。
日本の勤勉には「働きたい」ではなく、「辞められない」「空気で縛られている」という側面もあるのだ、と。
誰も怠けているわけではありません。
ただ、努力の方向が「成果」ではなく「我慢」へ向いてしまうことがある。
それが、ベトナムで一般的に語られる「勤勉さ」と大きく違って見えたのです。
■ なぜ日本は“勤勉”に見えるのか?
戦後の高度経済成長期、日本では 「長く働く=美徳」 という価値観が強く根づきました。
終身雇用、年功序列、忠誠心。
これらが組み合わさり、「頑張っている姿」が何よりも評価される社会になったのです。
しかし現代の日本は、少子高齢化と経済停滞の真っ只中。
長時間労働を続けても成果や幸福に結びつきにくくなっています。
それでも習慣は変わらず残り、
「勤勉に見える働き方」だけが空気のように続いている。
外から見ると“努力の国”に見える一方、内側では「やめたくても止まらない働き方」に苦しむ人も少なくありません。
■ では、どう向き合えばいいのか?
◎ 日本人への提案
- 「勤勉=長時間」から、「勤勉=効率と成果」への価値転換を。
- 周囲の目より、チームの生産性と自分の健康を優先する文化を。
- 「どれだけ頑張ったか」ではなく、「何を生み出したか」を評価軸に。
◎ 外国人への提案
- 日本の勤勉さは、時に“我慢の結果”であることを理解する。
- 同僚が長く残っていても、それが効率を意味するとは限らない。
- 自分のワークライフバランスを守りつつ、必要な部分だけ文化に合わせる柔軟性を。
“働きすぎ” を見るのではなく、“働き方” を見る。
その視点を持つだけで、日本での仕事はずっと楽になります。
■ この章は本の一部です
本記事は拙著 『私の日本観とその変化』 の第1章をベースに再構成したものです。
本には、私が日本で20年以上生活し、働き、育児し、そして社会と向き合う中で得た「日本とベトナムの価値観の違い」が多数収録されています。
日本人が“自国”を見つめ直すヒントに。
外国人が“日本社会”を理解する助けに。
両方にとって、新しい視点を提供できる本になっています。



















