今日は1月2日、日本では「正月の二日目」ですね。
ベトナムのテト(旧正月)であれば、街中が帰省する人々や家族連れで賑やかになり、どこからか笑い声が聞こえてくる時期です。しかし、今私が住んでいる日本の住宅街は、驚くほど静まり返っています。
私の著書『異文化の鏡に映る日越の日常40話』を出版してから半年ほどが経ちましたが、今日、近所の高齢者の方々が静かに過ごされている様子を見て、改めてこの本の中の「ある一章」を思い出しました。
それは、日本とベトナムの「家族の距離感」について書いたエピソードです。
第8話 孫とお婆さんとの関係
私の家の周りには日本人住民しかいない。ご近所には高齢者が多く、70歳から90歳の方々がほとんどである。私は時々「お孫さんたちは帰ってこられますか?」と尋ねてみる。すると多くの場合、「仕事で忙しくて帰って来られないのよ」という答えが返ってくる。
正月になっても近所の家に孫の姿はほとんど見えない。親しくなったお年寄りに聞いてみると、本音を話してくれた。 「あまり帰ってこないわね。おばあちゃんやおじいちゃんより、ショッピングモールの方が楽しいと思ってるのよ、きっと」と。
日本における世代間の関係は、ベトナム人の私から見ると、時として非常に希薄に感じられることがある。
入院中の「当たり前」の違い
以前、妻が入院した際の話だ。同室の日本人のおばあさんは、自分のお孫さん2人が同じ病院で看護師として働いていると嬉しそうに話していた。 しかし驚いたことに、3週間の入院期間中、そのお孫さんたちは一度もおばあさんの病室を訪ねなかったのだ。
ベトナムでは、そんなことはまずあり得ない。ベトナムの孫なら、一日に何度も様子を見に来るだろう。もし来なければ、おばあさんの方から「どうして来ないの?」と電話をかけるはずだ。
「抑える」文化と「表す」文化
もちろん、日本では「我慢」や「相手を慮って遠慮すること」が美徳とされるのかもしれない。 でも、私は思う。人間だからこそ、関心を持ち、それを直接伝えることで心が温まるのではないか。 感情を「抑える」より「表す」ことで、人と人との絆はより深まるのだと私は信じている。
あとがき
今日の静かな風景を見て、改めて「家族との繋がり」の大切さを噛み締めています。 文化の違いという鏡を通すと、私たちの当たり前の日常が少し違って見えてくるかもしれません。
このエピソードの続きや、他にも日越の日常の不思議を綴った40のお話を一冊の本にまとめています。ご興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。
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