責任は“同胞”ではなく“犯人本人”にある
はじめに
「外国人は“同胞”の犯罪を止めろ」と叫ぶ声が広がっています。表面上は社会秩序や治安を守るための主張に見えるかもしれません。しかし、その実態は 責任転嫁(責任のすり替え) にすぎません。犯罪はあくまで個人の行為であり、出身国や民族に帰属させるのは誤りです。
では、この「責任転嫁」にはどんなパターンがあるのでしょうか。大きく分けて三つに整理できます。
責任転嫁1:自己責任を他人に押し付ける
本来、もし特定の外国人が犯罪を犯した場合、それを発見した人は 警察に通報する ことで解決できるはずです。
しかし一部の人々は、その行為すらせずに「外国人のお前らが止めろ」と、まったく無関係の外国人に責任を押し付けます。
これは「火事を見つけたら消防に通報せず、近くにいる無関係な住民に『同胞なんだから火を消せ』と迫る」ようなものです。責任を果たさず、他人に丸投げしているにすぎません。
責任転嫁2:自国の管理責任を隠す
外国人の犯罪が起きると「外国人同士で管理しろ」と言う人がいます。
しかし本来、治安の維持は 自国の警察・行政機関 の役割です。制度設計や労働環境の管理を怠っておきながら、外国人側に「同胞の責任」として押し付けるのは、国としての責任放棄です。
つまり「自国の不備を認めず、外国人に責任を転嫁する」典型例です。
責任転嫁3:自分の不満を外国人にぶつける
さらに根深いのは、生活が苦しいことや将来が不安なことを“外国人のせい”にする 形の責任転嫁です。
本来は努力不足や社会構造の問題による部分が大きいのに、それを直視せずに「外国人がいるから自分が不幸だ」と思い込む。
これは、失敗の原因を自分ではなく「外部の敵」に求めることで一時的に安心する心理的防衛でもあります。しかしそれは問題解決を先送りし、自分自身の成長を阻むだけです。
責任転嫁の共通点
三つの責任転嫁に共通するのは、本来向き合うべき課題から目をそらす という点です。
- 自己責任から逃げる
- 自国の制度の欠陥から逃げる
- 自分の生活の改善努力から逃げる
逃げた分だけ、その矛先が「外国人」へと不当につき刺さる。これが分断や差別を生み、社会全体を弱くするのです。
ここで一つ、身近な例を紹介しましょう。
ある会社の経営者は外国人を雇っているにもかかわらず、法律の範囲を超えてまで彼らをコントロールしたいと考えます。しかし自社で責任を負いたくはない。そこで「同胞だから何とかしろ」と、送り出し機関や別の外国人に要求するのです。
これもまた、自らの責任を他者に丸投げする典型的な責任転嫁 だと言えるでしょう。
おわりに
「外国人に同胞の犯罪を止めろ」という要求は、正義感ではなく責任転嫁の表れです。
犯罪の責任は犯人本人にあり、治安維持は警察や制度の役割であり、生活の苦しさは個人と社会の課題です。
責任をすり替えるのではなく、それぞれが自分の課題と向き合うことこそ、健全で持続可能な社会を作る第一歩なのです。
最後に言えば──
責任転嫁とは、鏡を見ずに窓の外を指さす行為に過ぎません。
自分を直視せず、他者を非難しても、問題は一歩も解決しないのです。
「責任は“同胞”ではなく“犯人本人”にある」